勧野甲輝が戦力外になった理由はなぜ?リトルシニア時代のすごい成績もチェック!

12月16日放送の『消えた天才』に東京ヤクルトスワローズの山田哲人選手が勝てなかった人物、勧野甲輝さんが登場します。勧野甲輝さんも元プロ野球選手でしたが、2015年に戦力外通告を受けプロ野球界から引退されています。

今回は勧野甲輝さんが戦力外になった理由やすごさが分かるリトルシニア時代の成績もチェックしてみたいと思います!

Sponsored Link

勧野甲輝が戦力外になった理由はなぜ?

こちらが12月16日放送の『消えた天才』に登場する勧野甲輝さんです。それにしても山田哲人選手が「絶対勝てなかった」というのは驚きですよね~。すでに3度もトリプルスリーを達成した球界を代表する打者ですからね(汗)

勧野甲輝のプロフィール

・生年月日  1992年7月12日(26歳)

・出身地  大阪府富田林市

・身長   182㎝

・体重   86㎏

・投打   右投右打

引用元   Wikipedia

(2018年12月現在

PL学園小学校、富田林市立第二中学校を経てPL学園に進学。1年生の夏より投手で4番を任されるという実力の持ち主で2年生の春の選抜で甲子園に出場。怪我に悩まされながらも現読売ジャイアンツの吉川選手とともに打線を牽引し高校通算27本塁打を放っています。

勧野甲輝さんが1年生の時の動画もありましたのでご覧ください。

下半身も安定していてスイングも速いですね!当時から注目されていたこともあり「清原2世」と呼ばれていたそうです。

長打力が高く評価され2010年のドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスから5位指名を受け入団。

勧野甲輝が戦力外になった理由は?

東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した勧野甲輝さんですが、プロでの生活は厳しかったようですね。2011年から3年間2軍の生活が続きイースタンリーグでも目立った成績を残すことができませんでした。1軍に昇格することなく2013年10月4日、球団から戦力外通告を受けています。

その後12球団合同のトライアウトを受け福岡ソフトバンクホークスに入団するも、やはり3軍、2軍で目立った成績を残せず2015年10月26日に戦力外通告を受けプロ野球選手として引退されました。

なぜ才能がありながら、山田哲人選手も勝てなかったという実力がありながら戦力外になったんでしょうか?

一言で表すと「結果が残せなかったから」でしょうね…

ドラフトで指名されるだけでもすごいことですが、高校時代に騒がれても成績を残せずにプロを去った選手はたくさんいますから、それほどプロの世界は厳しいということでしょう。

ただ勧野甲輝さんがプロ入り後、良い指導者に恵まれたかは不明です。

また怪我に悩まされた選手で高校時代には腰痛分離症で入院。プロ入り後もスイング中に肋骨を骨折しています。タラレバの話になりますが怪我さえなければ…とも思ってしまいますよね。

超一流の選手はほぼ怪我とは無縁なので、勧野甲輝さんは運にも恵まれなかったのかなと思われます。

ちなみに勧野甲輝さん、ソフトバンク退団後は九州三菱自動車に入社し現在は営業マンとして仕事をされているそうですね。

Sponsored Link

勧野甲輝のリトルシニア時代のすごい成績もチェック!

勧野甲輝さんが野球を始めたのは4歳の時で富田林リトルリーグでプレー。中学校進学後は富田林シニアに所属して関西大会で優勝や2007年の世界ユース選手権で3位という成績をおさめています。

これだけでもすごいことですがリトルとシニアを合わせた通算本塁打は何と104本(汗)さらに球速も中学生にして142㎞/hは出ていたとか。

山田哲人選手が勝てなかったというのはおそらくリトルシニア時代でしょう。『消えた天才』の紹介で山田選手が空振りする映像が流れてましたがストレートがめちゃくちゃ速かったですね!

プロで活躍できなかったのは残念ですが、勧野甲輝さんのリトルシニア時代は「和製ベーブ・ルース」と称された清宮幸太郎選手にも匹敵するものでした。

今回は山田哲人選手が勝てなかった天才こと勧野甲輝さんについてのお話でした。

最後までお読みくださってありがとうございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です